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2011/05/19

Bitchの為にカネは鳴る-佐倉杏子の系譜-

 先日発売されたまどか☆マギカのスピンアウト、おりこ☆マギカを読んで杏子の漢っぷりにお股が大洪水になってしまった。そこで、一見して悪辣・邪悪だが胸のうちに優しさと哀しみが同居するような彼女のキャラクターの元型を虚淵玄過去作に探ってみたいと思い立った。

 この記事でビッチ、ビッチ連呼するけれども、このビッチはむしろ褒め言葉であると解釈して欲しい。ビッチかわいいよビッチ。

以下、色々ネタバレ有り。

                                                    

・ビッチの定義

 言うまでもなくビッチ、すなわちBitchは蔑称である。辞書を引いてみよう。

Bitch[名]

1 雌犬;(イヌ科の)雌.
a bitch wolf
雌オオカミ.
2 ((略式・軽蔑))いやな女, ばか女, あま;淫婦(いんぷ), あばずれ, ばいた.
3 ((米略式))不平;難物, 不愉快なもの;((反語))すばらしいもの.
4 ((俗))皮肉屋の同性愛の男, 女役のホモセクシャル.
5 ((俗))(トランプ・チェスで)クイーン.

 Hey!Bitch!と叫んだことにより、次の瞬間に平手打ちされたり、眉間に風穴が空いたりしたとしても当たり前であるが文句は言えまい。罵詈雑言なのだから。

 ただ、一方でビッチ萌えというジャンルが存在することもまた事実。その場合は、言葉通り受け取るのではなく、ケレン味を交えて愛称として呼ぶのである。彼女らは、確かに粗暴で邪悪だが一方で情熱と自由を身に纏って生きている。それが、我々の胸を撃つのだ。

                                                    

・あんこちゃんあんあん

 では、杏子はビッチであるのか、という問題がある。無論、まどマギ本編を見て蔑称としてビッチと罵る人はいないであろう。それどころか、聖女とまで言われて崇められている。だが、彼女から最初から聖女と呼ばれていた訳ではないことも、また自明である。初登場時はチンピラ・外道キャラで即魔女に食われて退場するのではないかとまで言われていた。本編では一時期さやかに魔女と同等の悪である、とまで言われた。まさにビッチである。ここまでキャラの評価が反転した例も珍しい。片や、人食いで徹底した利己主義者、片や清純で高潔な魂を持つ聖女。杏子というキャラクターの中は、二つの相反するものが同居しているのだ。

 そこで、このような一見不浄であるが、その内面には清浄なものを纏っているビッチを元型として扱ってみたい。便宜上、虚淵のビッチ、略してウロビッチと呼ぶことにする。(サノバビッチ的なテイストで)

                                                    

・荒野のウロビッチ、イライザ

 さて、このウロビッチの元型を辿っていくとまず目に付くのが、2007年発売の『続・殺戮のジャンゴ-地獄の賞金首-』である。なんと言っても、このゲームは泣く子も黙るビッチゲーなのである。キャッチコピーは、“美女を見たら泥棒と思え”、“アグネスも安心”である。素晴らしき哉。

 このゲームでは様々なタイプのビッチが出てくる。まさに両手に花。いや、両手にビッグマグナム。「あっしには関わりのねぇこって」とただ己の道を行く無頼漢ビッチのノーバディ、人を愛蔵銃で試し撃ち出来れば世は事もなし、冷血漢ビッチのリリィ、そして世の中金と力だけがジャスティス、拝金ビッチのイライザである。どの娘を攻略しようか迷う!(ゲームは一本道です。)

 この中でウロビッチ元型に該当するのは、主人公のイライザである。彼女は、金の前には人情も希望も何の意味も持たないと信じて疑わない清々しい程のビッチである。だが、彼女は物語終盤、序盤では思いもよらぬ献身を見せる。革命の英雄であったフランコの名を騙り血と暴力の赴くままに男と金を貪っていた彼女が、最後は自ら革命の希望となる為に進んでフランコとして死んでいこうとするのである。恐ろしいまでの変化である。

 彼女が荒野に出たのは、元より誰よりも英雄フランコを信じ疑わなかったからであった。しかし、実力万能の世界で理想を説ける程世の中甘くない。現実を知った彼女は、自分自身の希望がいかに下らないものであるかを悟って拝金のビッチへと変貌したのだった。彼女もまた、杏子同様、最終的に忘れかけていた自分の中の大切なものを思い出し、そしてその希望の為に殉じようとする。両者とも匪賊/英雄、魔女/聖女といった二重性を持ち、最終的に原点を取り戻すキャラクターであると言えよう。

                                                    

・ヒットマンウロビッチ、ドライ

 更に、ウロビッチ元型を遡ると、恐らく行き着くのは虚淵玄の処女作『Phantom of Inferno』のヒットマン、ドライ(キャル)であろう。

 彼女は、アメリカのギャング界に於いても狂っているとまで言われるまでの外道である。人を殺すことを享楽とし、上の指示に従わない彼女は悪鬼羅刹ばかりのギャング達でも手を余らせる。そんな彼女を突き動かすものは、主人公であるツヴァイ(吾妻玲二)に裏切られ捨てられた絶望と彼に対する憎しみであった。

 過去、彼女はギャング達の抗争に巻き込まれ、自分を支えてくれた家族を失った寄る辺なき少女であった。彼女は元々貧民街育ちである為、かなり狡猾でたくましいが、しかし歳相応の純真さも持ち合わせていた。中でも自分を助けてくれた玲二への憧れは並々ならぬものであった。そんな彼女が成り行きと誤解からとは言え、裏切られたと知るや快楽殺人ビッチに豹変するのである。原作でもアニメでも、皆「キャル、頼むから変な方向に育たないでくれ…」と祈った人も少なくない。しかし、現実は無常である…。

 憎しみに囚われた彼女を見た玲二は、苦しみ悩みながらも彼女を殺すことを決心する。最早和解などあり得ない。自分自身が非業に巻き込んで彼女を壊してしまったのなら、弁解などせず全ての罪を引き受けようと決意するのである…。教会での玲二とドライの決闘は、歴代作品の中でも屈指の名シーンなので直に目で確かめることをおすすめしたい…。この決闘はルートによって結末が変わるのだが、エレンルートでは玲二は彼女との決闘に勝利し、彼女を殺す。その時に、彼女はかつての恋心を思い出し安らかに笑ってキャルとして死んでいくのである…。

 ドライ(キャル)もまた、相反する二つの感情に振り回されながら、原点を取り戻し死んでいくキャラクターである。ドライ-イライザ-杏子は、やはり同じ元型や発想から生まれたキャラクターではなかろうか。それを補足するようにメンタリティや結末だけでなく、彼女たちに付属するイメージも同じものを共有している。

 それは、聖職者・教会・そして決別、である。

                                                    

・ウロビッチ達の教会

 まず、杏子については今更説明するまでもないだろう。彼女の父親は神父であり、実家は教会である。そして、彼女は荒廃した教会でさやかと決別する。理想を語り自分を曲げないさやかと、かつての自分を重ねてさやかを止めようとする杏子の対比である。思えば、この時点でもう既に対話による和解は不可能だったのだろう。

 次に、イライザ。彼女の姉、パブリナは修道会に所属する修道女である。貧農の生まれであった彼女達が生きていく為には、出家するか淫売になるかしかなかったわけで、姉パブリナは前者を、妹のイライザは後者を選んだ。物語の中盤、姉の修道院を訪れたイライザはパブリナと自分との間にある溝を思い知らされる。淫売となり金の為に人殺しをしているイライザを責めるパブリナに対し、イライザはパブリナのことを希望や救いを語っておきながら実は純潔を捨てることを恐れて逃げ出した卑怯者なのだと罵る。そして、二人は不和のまま決別するのである。

 最後に、ドライ。彼女は特に親族が聖職者であった訳ではない。しかし、教会との繋がりは色濃い。玲二が彼女と別れる直前にプレゼントしたオルゴール付き懐中時計、その曲目は、賛美歌517番 「我に来よと主は今」。そして、教会での決別は言うまでもなく、玲二との決闘である。

 全て、希望や清純、かつて失ったものの象徴として教会・聖職者が表現されている。このイメージは二重性を揺さぶり、そのテーマを際立たせる。彼女たちが、自分の心にある矛盾した二つの感情、そして自分の背負っている罪や苦しみに向かい合う為に、繰り返し現れているのだろう。
 更に虚淵作品を問わずもっと源流を辿るなら、聖母マリアとマグダラのマリアの二重性まで行き着くのかもしれない。聖母マリアは処女であり純潔の象徴、マグダラのマリアは不浄でありながら改悛し救済される者の象徴である。杏子が聖女と呼ばれるのも理由の無いことではないのかもしれない。聖母マリアとマグダラのマリアは、聖女の代名詞と言えるくらいだからだ。

                                  

・Good Bitch!

 さて、ここまでウロビッチという勝手極まりない呼び名でキャラクター元型について考えてきたわけだが如何だろうか。私は、最初に話した通りキャラクターを貶める為にビッチという言葉を使ったのではなく、敢えて賞賛するためにビッチビッチ連呼したのである。杏子、イライザ、ドライは一見不浄でありながら、清浄に転ずるというダイナミックな力強さを持ったキャラクター達である。だからこそ、無垢・貞淑などという言葉よりも、むしろビッチと言った方がしっくり来る。その力強さこそ、自由で情熱的な彼女たちには相応しいのではないだろうか。あんこちゃんあんあん。

 往々にして処女や無垢が人気のあるこの業界ではあるが、それとは異なる魅力・力強さと価値観の転換というダイナミズムを持つ彼女達がいることをどうか忘れないでいて欲しい。ハブアナイスビッチ!

※今回はメンタルに関わる件のみなので、膜の有無には言及してません。直接的な描写があるドライ・イライザについてはしょうがないとして、杏子については想像する他ないだろう。まさにシュレティンガーの膜。でも、仮に無かったとしても魔力で回復させることは可能のような気がする。バージンリレイズ、ウワァオ!そこの所、どうなんですか、QBさん、いや虚淵さん!

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