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2011/12/06

喜劇の条件-まどか☆マギカとRewriteにまつわる私的ドキュメンタリー-

 いよいよ2011年も終わりに近づいてきたということで、今年たくさん書いてきたまどか☆マギカとRewriteについてのことを私的にちょいと纏めてみたいと思う。

以下、まどか☆マギカ・Rewriteのネタばれ注意。

 

・二大プロジェクト 

一年前くらいを思い返すに、ちょうどその頃まどか☆マギカが正式にお披露目され我々を驚かせ、一方でRewriteは発売日が決定されてちょくちょく再び話題にのぼるようになってきた時だったように思う。皆が予想した、2011年はカオスになるだろうと。

 実際、まどか☆マギカは空前の大ヒットを記録し映画化まで決定され、一大ムーブメントとなった。対して、Rewriteは発売直後から賛否両論の論争が繰り広げられ、大絶賛する声もあれば、「どうしてこうなった」と戦犯の炙り出そうとする声もあった。舞台はアニメ・ギャルゲーと異なるものの、両者の辿った結末は明暗を分けたと言える。この二つの巨大なプロジェクトが、交錯した2011年はやはり印象的だったと私的に思う。

 何故、ここまでのインパクトを与えたのか。それにはまず両作品の始まりを辿るのがいいと思う。そこでこの2011年に至る以前の、二作品に対する個人的な印象を回顧してみる。

 

・始まりは突然に 

 まずRewriteから。始まりは忘れもしない2008年4月1日、エイプリルフールに起きた事件であった。「Key完全新作始動」、そのフレーズから始まるページは衝撃そのものであった。目を引いたのはクレジットの「原画:樋上いたる シナリオ:田中ロミオ/竜騎士07/都乃河勇人」の文字列。それを見た時、「今年のKeyのエイプリルフールは手が込んでるなあ」と思った。しかし、それは所詮一夜の夢。嘘が真実味を持って語られる日であるからこそ許された筈のこと。そう信じて疑わなかった。だが、翌日、まだ新作発表のページが消えていない事実を知り、驚愕した。なんと嘘ではなかったのだ。当時の混乱ぶりを伝える記事を以下に参照したい。

Key新作「Rewrite」発表 その真相はいかに(鍵っ子ブログ)

Key新作「Rewrite」マジで製作決定! 田中ロミオ、竜騎士07がKeyとコラボレーション(鍵っ子ブログ)

 期待・不安様々な声があがった訳であるが、この頃はまだ夢があった。まさか、田中ロミオや竜騎士という大物ライターが参戦するとは、そしてあのKeyの看板とも言うべきいたると手を組むとは、一体Keyは何をしようというのか。一大プロジェクトという匂いがプンプンした。

 しかし、それから時は流れ3年、丁度同じエイプリルフール4月1日、事件は起こった。「Rewriteセカンドムービー公開」、そう伝えるページを見た時に、少し嫌な予感はしていた。何故、また4月1日にわざわざ公開するのだろう、という疑念。そして、それは的中した。

 「え…?えっ…?何これ?サ、サイラバ?というよりどんな話なんだ、これ…?バトル? ドラゴン? MIB? 大脳皮質が、こむらがえる、う、ウワァオ!」と全国の鍵っ子を混乱の渦に叩き込んだ。そして、4月2日になっても消えないムービー…夢だけど、夢じゃなかった!ウワァオ!丁度、私が危機感というかRewriteに危ういものを感じ始めたのはこの頃だった。しかし、それは同時に魅惑でもあった。ここまで怪しい要素満載なのだから、いつか必ず真実をこの目で確かめねば、と。

 次にまどか☆マギカ。こちらは正式発表から、放送までのタイムラグが短かったものの、そのスタッフからRewriteに匹敵する衝撃を受けた。

 「オリジナルアニメプロジェクト始動」「監督:新房昭之 脚本:虚淵玄 キャラクター原案:蒼樹うめ キャラクターデザイン:岸田隆宏 音楽:梶浦由記 アニメーション制作:シャフト」、圧倒的なクレジットである。なんといっても、この面子の中での虚淵玄の異物感。虚淵玄を知る者ならば誰もが思った、「気をつけろ!こ、これはぶっさんの仕掛けた罠だ!」、と。沙耶の唄やジャンゴで我々を騙し、驚嘆させてきた過去の前例から、もはや「幸せなストーリー」などある訳が無い、あるのは血と硝煙の世界だ…、そう思わずにはいられなかった。そして、何よりもキャラクター原案があのうめてんてーである。これは血溜まりスケッチになるとしか思えず、何という劇薬を精製しているのだと感じ入ったものだ。更にこれらに加えて、「ニトロプラスはアニメに関わると大抵いいことがない」というジンクス、虚淵玄が深く関わったアニメBLASSREITERの「凌駕した」など、不安と困惑の要素てんこ盛りであった。正直に申し上げると、まどか☆マギカがここまで空前のヒットをするとはあの当時思ってもみなかった。一癖も二癖もある味わい深い作品になるだろうとは思っていたけれども、まさかポストエヴァと呼ばれるまでに至るとは…

 両作品とも与えたインパクトや不安・期待、その他諸々の影響は計り知れない。

 回顧も済んだ所で、両作品を関連付けて少し考えていきたいと思う。そうすることで、何か見えてくるものがあるかもしれない。

 

・それはマインスイーパーのように

  エロゲー・ギャルゲーなどを語る際、慣用句となった言葉、地雷。それに込められたものは、期待していたメーカーや絵師の作品をプレイしたら、想像と期待を裏切る駄作であった時の亡者の叫び、である。大地に埋め込まれ不可視であるが故に、地雷。その予想外の駄作洗礼はまさに驚異。当然のことながら、前例、体験版などを参照にして地雷を察知しようとする回避運動が起こる。そして、敢えて地雷と分かっていながら地雷原に特攻する者も現れる。このように地雷を巡る攻防はいつだって緊迫感に溢れている。

 さて、地雷というワードを踏まえてまどか☆マギカとRewriteの件を考えていただきたい。この両作品は、発表の段階で期待と同時に物凄い不安要素を与えている。もしかしたら、とんでもない駄作になるかもしれない、爆発するかもしれないという不安。地雷を踏むかもという不安。(※)では、これらに対しては通常慣用的に使う地雷予測認定が適用出来るかと言えばまた違うだろう。何故ならば、発表のやり方やPVからして、既にケレン味たっぷり、どう考えてもこちらを煽る姿勢が見いだせるからである。言ってみれば「ここに地雷埋まってますからね」と向こうから挑発的にアナウンスしてくれているようなものだ。まさにマインスイーパー。クリックしたら、周囲が4とか5とか6とかばっかだよ、ウワァオ!この時点で地雷探しは、作り手と受け手のゲームの様相を見せ始めている。

 勿論、受け手から見れば地雷の恐怖があっても、作り手から見ればそうではないのは当然のことだ。あくまで煽りは煽りであるので、それは駄作にする為の布石ではなく、いい意味で期待を裏切る為の布石である。だからこそ、ある意味、作り手と受け手の間に不安と期待に入り交じった緊張感が漂う。更に、両作品とも著名なクリエーターが名を連ねているので、既に先行するイメージというものがある。Keyのイメージ/シャフトのイメージ、いたるのイメージ/うめ先生のイメージ、ロミオのイメージ/虚淵のイメージ、様々なイメージが反響し合っている。これをどのように裏切っていくのか、乗り越えるのか、とても難しい課題であると言える。両作品とも間違いなく挑戦作だった。地雷原を進むのは、実は受け手だけではなく、むしろ作り手の方もだったのだろう。

※「地雷を踏む」ということは、ゲームに対して金銭を払うというリスクを入れなければ成立しない、と考えるならば、媒体がアニメであるまどか☆マギカに地雷云々と言うのは的外れになる。が、あくまで期待と裏切りの入り混じったあのフィーリングを表現する為に誤解を恐れず使用させていただいた。

 

・転げ落ちる世界

 まどか☆マギカは1月から、Rewriteは6月末に期待と不安の中、明るみに晒されていった。スタートした直後の両作品の冒頭部分から受ける印象は、思うに「不気味」の一言である。

 まどか☆マギカの序盤は、魔法少女のファンシーでキュートな姿が強調されつつも、所々不可解な点が目立つ。ソウルジェムとグリーフシードの形状が似ているのは何故か、どうしてグリーフシードが穢れを吸収出来るのか、ほむらがまどかに決して魔法少女になるなと言う真意はどこにあるのか、壁に書かれたファウストの一節は何を意味するのか、などなど。どう見ても怪しい。怪しすぎる。いつ、ぶっさんは一線を超えてくるのか。その予兆は不気味そのものであった。

 Rewriteの序盤もそうである。一見、従来のKeyゲーの如く、楽しい日常やミニゲームっぽいものが楽しめる賑やかな世界である。しかし、他方、瑚太朗の隠している超能力とは何なのか、楽しそうに振舞っているようでどう見ても仮面被っているのは何故なのか、迷い込んだ無人の街は一体何なのか、書き換えるとは何に対してなのか、などなど。これも怪しい。どう見ても敢えて話を胡散臭くしている。そこに隠されている真実とは何なのか。不気味である。

 そして、ついに化けの皮が剥がれる瞬間がやって来る。まどか☆マギカでは第3話、Rewriteでは共通ルート最後の日である。まどか☆マギカでは巴マミが魔女に頭を食いちぎられて死ぬ。希望の存在である筈の魔法少女が殺害される。Rewriteでは、森の中で魔物に襲われ、瑚太朗が頑張って築き上げたオカ研がいとも容易く崩壊する。人と人の絆は、結局は作り物、幻であったと暴露される。(※)

 「やってくれたなあああああ、ウロブチイイイイイ」「ロォォォミオオオオ」と叫ばずにいられようか。勿論、いつかこうなることは分かっていた筈である。しかし、心のどこかで「いや、もしかしたら、煽りはただのハッタリかもしれない…実は本当に愛と勇気のストーリーかもしれない…」という気持ちもあった。しかし、駄目だった。現実は非情である。期待が覆されることのカタルシス。希望から絶望への相転移。幻から真実への目覚め。そうして、両作品ともここから世界が転げ落ちていくのである。

※尤も、Rewriteは共通ルート終了までが長すぎてダレてしまう、というのも否定できない。

 

・暴かれる希望と奇跡

 ここからもう両作品は止まることはない。次々非情な世界が露わになっていく。

 まどか☆マギカは「希望を持つこと」「奇跡を祈ること」が否定されていく。やがて、魔法少女は魔女となる。希望を持つことは絶望へと転落すること、奇跡を祈ることはいつか必ず裏切られることが示されていく。

 Rewriteでは「奇跡が起こること」「世界が再生されること」が否定されていく。奇跡など世界には決して起こらない、世界は汚れ元通りの美しい光景が再生されることは決してない、と嘲笑う。

 両作品の世界とも一見見た目は綺麗に見えるが、その本質は完全にどうしようもない世界なのである。ほとんどの人間はそれを知らずに戦いに巻き込まれて死に、知っている人間は真実の重さに屈服して敗れ、力で解決しようとするものはその力に呑まれて滅びる。ちょっと見ただけでは分からない絶望的な非情さだ。ビジュアルではまどか☆マギカはうめ先生の皮を被り、Rewriteはいたるの皮を被っている。更に、希望の存在である魔法少女、Key的な自然と調和した美しい世界のイメージの皮を被っている。皮の下には底無しの深淵が広がっていたわけだ。

 

・世界の改変と喜劇の条件

 もはやどうしようもない現実と世界を前に何も出来ることはないのか。後半の二人の主人公の思考は重なる部分がある。そして、二人とも解決方法として、人々と争い合うのではなく、世界そのものの改変を選ぶ。その対価は、「人間でなくなること」、つまり世界のシステムの一部になることであった。彼・彼女が、命を手放すことで世界は生まれ変わる。死が世界を変え、物語の地平を変えてしまうのだ。改変された世界は勿論楽園ではなかった。しかし、それでも生きていける、救いを見いだせる世界に変わった。暗い絶望を持っていようとも、それと向い合って生きていける世界が示された。命の価値を受け止めて、外へ向かっていける世界が広がった。そういう意味では、やはりこれらの世界への改変は奇跡なのだと思う。否定し尽くした筈の奇跡を、最後には新しく再び認めている。故に、両作品とも描かれたものは、奇跡が成立する為の前史、喜劇の条件の提示だったのではなかろうか。

 丁度、似たようなことがユリイカ11月号臨時増刊号の虚淵玄・田中ロミオ特集で語られている。どうあってもハッピーエンドが望めない世界で、いかにハッピーエンドを成立させるのか、これは両氏に共通する問題設定であるように思える。そして、それを最初に希望に満ちた世界を提示しておいて、そこから真実を見せ絶望に叩き落とし、更に再び希望や奇跡を肯定し直すことで表現しているのも筋書きとしては似通っている。勿論、作り手が異なるのだから出発点が同じである筈はないし、製作過程でクリエイター同士複雑に影響を与え合っているのだから、単純にはこれだとは言い切れない。だが、私的な体感としては、この両者が縁深く感じられるのだ。

 

・深淵を飛び越えるものは

 故に、2011年、この二つの作品にリアルタイムで立ち会えたことは本当に幸運であったと思っている。発表時からストーリーが始まる時、そして完結を迎える時まで、何度も何度も驚きと戦慄を与えてくれた両作品との出会いに感謝したい。

 片や映画化決定でポストエヴァだと各所から絶賛され、片やセールスは良くFD制作も決まったが賛否両論を生んだ、まどか☆マギカとRewrite。冒頭でも述べた通り、明暗を分けた部分があることは否定できないだろう。だが、結果から見ればそうであっても、その作品が生まれてきた過程には等しく驚きと挑戦が満ちていた。作品が終わってしまえば、何かしら通史的にアニメ史・美少女ゲーム史に還元されるのは世の必定であるが、その下で深淵を飛び越えるような危険な跳躍があったことは間違いない。両作品の中で物語が肯定されて、歴史となる前に不安定で恐ろしい世界があったのと同じように。真っ暗で、光の届かない深淵を綱渡りするかのようなスリルと興奮。それがまどか☆マギカとRewriteの至る所に刻み込まれているように思えて仕方ないのだ。いつかそれが忘れられる運命にあるとしても。

 綱渡りが終わり、作中で奇跡は光を取り戻し、作品として一つの区切りを迎えたとしても、この一連の興奮は強烈に残った。だから、いつか自分自身がそれを忘れ、通史的に両作品を見る時が来るとしても、せめてそういう恐ろしくて魅惑的な経験があった事実をそっとここに記しておきたいと思うのだ。

 そして、劇場で杏まど・まどほむを観るために、FDで静流とのイチャイチャ樹姦プレイを見るために頑張って生きていこうと思うのです…

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