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2012/09/26

終わる世界とバースデイ レビュー

 -あの日。本当に世界が終わるなんて、誰も信じちゃいなかった。

 

 2012年7月末にコットンソフトから発売された『終わる世界とバースデイ』をコンプ。実は作品が発表された時から仄かな期待を寄せていた『終バス』であったが、結局終えたのは作中で世界の終わる9月末になってしまった。記念という意味も込めて、雑感をここに記す。

 『終わる世界とバースデイ』は新・終末系恋愛ADVゲームである。事前段階で予想された通り超展開が多かった。自明のことだが、超展開は諸刃の剣であり、基底部分をちゃぶ台返しする必要があることから、上手くいけば驚愕させられるが、失敗すると白けることになる。そのスリルと緊張を味わいたい性もあって、手を出さずにはいられなかった本作であるが、結果から言うと展開は玉石混交であったように思えた。

 目についた点は個別ルートでの終わり方や展開で、これが迫真に迫るものではなく、B級映画的な微妙な白けを残してしまっていたように思われる。ある意味、ここで反対側に突っ切ってもらえれば、それはそれで面白かったのだが。一方で、個別ルートから本道に入る展開には、心が惹かれるものがあった。それ以前に少々プレイすることが億劫になっていたので、その分救われた感はある。ただ、やはり世界観に馴染めない場合は個別ルートでドロップアウト、というのも十分考えられる。だが、ムラの部分を帳消しには出来ないかもしれないが、全体としての印象は悪くないように思う。

 陵辱要素に関して懸念する人もいるかもしれないが、陵辱は基本なし、陵辱らしきものは一回のみ。完全回避可能。しかし、逆に考えると、終末という題材を取り入れながら、人間の醜悪さの発露である陵辱が不十分なのは不自然であるとも言える。ただ残虐であれ汚くあれ、とまでは言わないが、折角18禁で作るのなら表現に幅があっても良かろうに、と思えた。

 それと、ローカルSNSのシステムは、実験的でありながらも、斬新で興味深いものだった。主人公の見えない所でヒロインが何しているか呟いたり、毎日日記を付けたりするので、純粋に何をやってるんだろうという好奇心から面白い。それと、地の文でメールが届いたことが知らされると、実際SNSにもメールが届いて閲覧出来るので、主人公の行動に同期することが出来て新鮮な感覚だった。惜しむらくは、SNSがおまけの領域を出ず、積極的に本編に絡んで来なかったことだろう。しかし、次回作以降でもお目に掛かりたいような、先のあるシステムであるように感じた。

 そんなこんなで総プレイ時間20~25時間?、暮れゆく2012年終末の年に思いを馳せながらプレイするとよろしいかと。9月末にプレイしたなら尚よろし。

以下、ネタバレ雑感。プレイ済の人、プレイする気のない人、腋コキされたい人のみ閲覧推奨。

 

まずは個別ルートで思う所など。

・Cassandra Syndrome

 入莉ルート。このルートを一言で言い表すと、形式近親相姦聴牌で流局(何)。仮初の妹に依存され、依存されることに依存するという底無しの沼に沈みながら、近親相姦の意識に苦しむ姿は期待していたものと見事に合致し、歓喜した。それが段々、世界の終わりが近づき世界が閉鎖される感覚と見事にマッチしていて、このまま二人で背徳に溺れながら終わりを迎えるルートがあっても良かったと思うほどだ。しかし、終盤にこの仮初の兄妹関係が唐突に終わってしまったので、展開に驚いたというよりは、何故ここで打ち切ってしまうのか、という疑念の方が大きかった。近親相姦エンドが一つはあると見込んで購入したのだが…むむう。また、この仮初の近親相姦というのが、巷に溢れる義妹設定にしても問題ないようなノリの実妹近親相姦よりも関係を強調し背徳的であるだけに、無念は大きい。後、脇、ノースリーブは神秘。

・Genocide Virus

 ミカルート。入莉ルートがいかに予言の実現を阻止するかに終始していたのは異なり、本格的な世界の終わりが提示されるルート。しかし、ちょうどルート上の台詞の「B級映画みたい」というフレーズがそのまま当てはまるルートでもある。何と言ったらいいのか、世界の終わりを語っているにも関わらず、終始危機感が欠落していて間延びした印象が強く残ってしまった。特にこのルートは殺人ウィルスと潜在的な人間の破壊衝動が鍵となるだけに、この危機感の無さは致命的であった。そのおかげで同級生の鎌子さんが襲いかかってきた時は吹いてしまった訳であるが、このように他人事のように終末を眺めると笑いに変わるという意味ではこのルートも無意味ではなかった、と思いたい。思いたい。

・Glacial Period

 柊ルート。氷河期的な何かかと思ったが、違う何かだった。このルートでも世界は終わる。ミカルートが醜い人間の闘争の末路を描いた終末ならば、ちょうどその反対に全てを凍りつかせて停止させてしまった綺麗な終末であると言える。しかし、「美しい」という言葉が宙に浮いている印象。やはり、凄惨なものを同時に孕んでこそ、世界の終わりの光景の美しさにも奥行きが生まれるように思う。ここでも危機感の欠落は感じる。シナリオの御導はるか氏は、『ゆきいろ』のあきらルートでのほほんとした独特の空気が出せていただけに、普通の日常部分は良かったのだけれども… 

・I Am Legend

 インタールード。ここから終末に見舞われた世界の真実に迫っていく。織塚ルートかと思ったら違った、しょんぼり、と個人的に泣く部分もあったが、幕間としては惹きこまれ、続く展開に期待を持たせてくれた。人が絶えた廃墟に、ふたりっきりという展開もおいしい。しかし、織塚タイムは永遠に訪れない。事前広報の段階でもこの娘が酷い目に遭って報われないことは分かっていたが、ここまで設定の関わる重要人物でかつ徹底した道化役だと流石に気の毒…と言うよりも何故攻略できないんだ!的な発作に襲われる。こんな素晴らしい後輩キャラなのに… ちょこっとファンディスクなどで少しでもいいから思い果たされる結末が見たいものである。おまけおしっこトゥルーエンドは、まさしくトゥルーエンドだった。 放尿は失われた日常性の欠片なんだよ!

・Reverse End

 ナルルートだが、実質真相編。この世界がコンピュータ上の擬似現実でしかないことが明かされる。そして、電脳世界での蘇生など、ある意味お約束展開であった。体験版の段階で、舞台となる世界は仮想現実か精神世界的な何かだろう、という予想はちらほら見受けられたが、本当に直球でこられるビビる。研究室が背景に見えた時にそう感じずにはいられなかった。どちらかと言うと郁ちゃんが健気過ぎて可愛い。植物人間とはまたありがちであるが、ナルとの絡みや女装ショタというワンポイントで飽きずに見られた。

・Happy Birthday

 真・入莉ルート。解決編。ラスト直前のダイブシーンで某ゲームを思い浮かべた人も多いはず。だからこそ、怖い部分もある。更に世界そのものがリセットできるという発想や、現実と仮想との二分法的な発想は、いささか強引で時に独善的であるため、不安に思ってしまった。よく考えると、この辺りのスピリチュアルな感覚については、良い部分も悪い部分もあるので、そこに深く踏み込まれると、それだけで不安を煽られるのかもしれない。その意味で帰還に反対したプレイヤー側に共感せざるを得ない。

 しかし、そんな微妙な気持ちになっている所でラストの「Happy Barthday」。こいつはやられた。誕生日入力がまさかこんな展開を引き起こすとは… SNS設定で違和感なく入力した誕生日をラストに繋げ、演出と見事に噛み合わせている。「Happy Barthday」のフレーズといい申し分の無いラストシーンだった。ここまで気持ちよく評価をひっくり返されたのは久しぶりで、実に爽快。

 

・総括

 振り返ってみると、この『終わる世界とバースデイ』は純粋に「終末」をテーマにした作品と言うよりは、「終末」を梃子にした作品であるように感じた。それはあくまで、「終末」は未練解消やトラウマ克服の手段としてしか想定されておらず、世界が終わることそのものはシナリオ全体と内的な関係がないからだと思う。そこが最大の不満点である。本格的な終末、終末そのものに意識が向いていて本当に世界が終わるのではないか疑うくらいの真摯さで終末を描いてくれたら… 終末はあくまで「終わる世界」の1ループ分の有効期限に過ぎず、デジタルに処理されるだけである。道具立てに過ぎない終末は、それにより鬼気迫る筈の本当の「世界の終わり」から鬼気を抜いてしまった。序盤から中盤までの陶也との哲学的問答もそのまま擬似現実の設定に直結してしまって、遊びがない分窮屈に感じる。何かこう、終末に対してロマンを抱いていると、やはりこれらの展開は拍子抜けしてしまう。

 一方、視点を変えると『終バス』からメタ終末論的な見方も出来るかもしれない。終末論には、自分自身の回復や再肯定の欲望が背景にあり、それが終末を終末たらしめると仮定すれば、『終バス』はメタ視点で見た終末世界諸相ということになるだろう。しかし、それだと今度は「終末」のバリエーションが二通りしかないことに問題がある。(仕様上限界なのかもしれないが)これだけ自由に終末を演出出来る設定なのだから、他にも隕石衝突、核戦争、ポールシフト、突然訳の分からん霧に包まれる、空飛ぶスパゲッティ的な怪物の襲来など滅茶苦茶にやって欲しかった。陵辱関連にも言えることなのだが、幅を狭めて作られている気がしてそこが勿体無い。人間の破壊衝動云々ではないが、無茶苦茶なものでもどんどんブチ込んで欲しかった。美しい終末、醜い終末、激しい終末、静謐な終末、希望のある終末、絶望しか無い終末、様々な終末があるが、人によって迎える終末が異なるのなら、それらを満たすだけのバリエーションが欲しかった。そういった混淆さそのものも終末世界の特徴ではないだろうか。

 『終わる世界とバースデイ』は本当の「世界の終わり」「終末」というよりは、文字通り「終わる世界」での物語だった。区切りとして終わっていく世界。その意味では、『終わる世界とバースデイ』というタイトルは羊頭狗肉ではない、と言えるのかもしれない。終末物としては残念に思う所も確かにあったが、「終わる世界」を巡る物語という意味なら納得できる。「終わる世界」から自分自身の誕生日、生き方が、また特別な意味を持って見えてくる、そんな『終わる世界とバースデイ』。看板に偽りなし。朽ち果ててしまった自分の誕生日に潤いを。せめて一年に一回はやりたい、そんな一本であった。

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